広告の下に記事の続きがあります。ペコリ
徳澤直子:ファッションモデルから医療従事者へ、大きな転機
「女性の人生に寄り添い、支えたい」
この言葉には、徳澤直子さんが歩んできた道のりが凝縮されています。彼女は2000年代初頭、ファッション誌『CanCam』の専属モデルとして一世を風靡しました。しかし、華やかなモデル業を一旦離れ、医療の世界へと進む決断をしたのは、娘の出産が大きなきっかけでした。
彼女の転機となったのは、アメリカ・ミネソタ州での出産体験です。異なる文化や医療制度の中で、不安を抱えながら迎えた出産の日々。そのとき出会ったドゥーラと呼ばれる出産サポートの専門家が、彼女の不安を取り除いてくれました。この体験が彼女の人生観を変え、「誰かの力になりたい」という思いを抱かせたのです。
中学理科からの挑戦:学び直しの勇気
医療の道を志した徳澤さん。しかし、看護大学への進学は容易ではありませんでした。育児をしながらの受験勉強は想像を超える過酷なものでした。特に、長女が1歳のときに受験勉強を開始し、中学レベルの理科から学び直したことは、彼女の決意の強さを物語っています。
「勉強をしている私の姿を娘に見せることで、努力の大切さを伝えたかった」と語る徳澤さん。彼女は育児と学業を両立する方法を模索しながら、オンライン教材や模試を駆使して知識を積み上げていきました。その努力が実り、彼女は看護大学へ進学。その後、さらなる目標である助産師資格を目指して、大学院への進学を果たしました。
助産師としての使命感:命を迎える現場での責任
2020年、徳澤さんは聖路加国際大学大学院を卒業し、助産師資格を取得しました。助産師として初めて現場に立ったとき、彼女は命が誕生する瞬間の神聖さと責任の重さに圧倒されたといいます。
特に、コロナ禍の医療現場は予想以上に厳しいものでした。妊婦や家族が直面する孤独や不安を少しでも和らげるため、彼女は一人ひとりと向き合い、夜勤中も産婦さんの部屋を訪れて悩みを聞くことを心がけました。
「妊産婦さんが安心して出産に臨める環境を作るのが私の役目」と語る彼女の言葉には、助産師としての強い使命感がにじみ出ています。徳澤さんはただ医療を提供するだけでなく、「心の支え」としての役割を果たすことを大切にしているのです。
コロナ禍がもたらした気づき:支える力の大切さ
2020年以降、新型コロナウイルス感染症の流行により、医療現場は大きな変化を余儀なくされました。妊婦たちは立会禁止や面会制限といった状況に置かれ、孤独や不安が以前にも増して深刻な問題となりました。徳澤さんは、妊婦たちの心に寄り添い、出産後の「バースレビュー」という方法で不安や疑問を解消する取り組みを行いました。
彼女が取り組んだのは、患者一人ひとりに納得感を持ってもらい、安心して退院してもらうための細やかなサポートです。こうした活動が、妊婦の精神的な安定や満足度向上に寄与しました。
助産師への道のりが示す「覚悟」と「努力」
助産師になるための道は、想像以上に険しく、精神的にも肉体的にも大きな負担を伴います。徳澤直子さんがその道を選んだ背景には、「一人の母親として、そして女性として妊産婦を支えたい」という強い意志がありました。しかし、その意志だけでは成し遂げられないほど、助産師になるためには膨大な知識、技術、そして経験が必要とされます。
1. 長い学びの時間:基礎から専門知識までの習得
助産師になるためには、まず看護師の資格を取得する必要があります。そのためには看護大学または看護専門学校での4年間の学びが求められます。この中で、生物学や解剖学、病理学、看護理論といった基礎科目から、実際の医療現場で役立つ実習まで多岐にわたる教育を受けます。
看護師資格取得後、さらに助産師資格を得るためには、助産師養成課程(通常は1年から2年)を修了する必要があります。この課程では、分娩介助、新生児ケア、母子の心理的ケアといった専門知識を学び、数多くの実習を通じて実践力を身につけます。
徳澤さんの場合、モデルとして働いていた時期があったため、中学レベルの理科から学び直す必要がありました。ここで多くの人が挫折するのも無理はありません。しかし、彼女はシングルマザーとして育児をしながら受験勉強を続け、まずは看護大学への合格を果たしました。育児中の限られた時間を最大限に活用し、家事の合間に短時間で集中して勉強する方法を模索したといいます。
2. 実習の厳しさ:心身ともに試される現場経験
助産師養成課程の中でも特に過酷なのが、分娩介助や産後ケアの実習です。実際の妊婦さんや産婦さんと接する現場では、身体的な負担だけでなく精神的なストレスも大きくのしかかります。産婦さんの命と新生児の命を預かる仕事の重みは計り知れません。
徳澤さんは「初めて実習で分娩介助をしたとき、自分の手の震えが止まらなかった」と語ります。それでも、周囲の医師や先輩助産師の指導を受けながら経験を重ね、少しずつ自信をつけていきました。また、助産師としての技術だけでなく、妊産婦の不安を受け止め、心を支えるスキルも必要です。徳澤さんは「医療現場では、知識や技術だけでなく、人としての温かさが不可欠」と語っています。
3. 育児との両立:時間との闘い
助産師資格を目指す中で、徳澤さんにとって最大の課題は育児との両立でした。長女がまだ幼い頃、試験勉強や実習に多くの時間を割かなければならず、十分に子どもと向き合えないジレンマを感じたこともあったそうです。それでも彼女は、「母親として努力する姿を見せることも教育の一環」と考え、子どもたちと過ごす時間を質で補う工夫をしました。
また、家族や友人、同僚のサポートも助産師への道を支えた大きな要因でした。彼女は「一人で全てを抱え込まず、周囲の助けを素直に受け入れることが重要」と話しています。特にコロナ禍では、オンライン授業やリモート実習が導入され、限られた時間の中で効率よく学ぶための柔軟性も必要とされました。
4. 助産師としての喜び:命の誕生に立ち会う瞬間
すべての試練を乗り越えた徳澤さんが、現在感じているのは助産師として働く喜びです。命の誕生というかけがえのない瞬間に立ち会うことで得られる感動は、他の職業では味わえないものだといいます。
「産婦さんが『ありがとう』と言ってくれるたびに、助産師を目指してよかったと心から思う」と語る彼女。その感謝の言葉は、これまでの苦労や努力を報いる何よりの報酬です。また、妊産婦だけでなくその家族とも深い信頼関係を築けることが、助産師という職業の魅力の一つだと強調しています。
シングルマザーとしての奮闘:子どもたちへの想い
徳澤さんは、シングルマザーとして2人の子どもを育てながら、医療従事者として働いています。彼女は、育児において「自然との触れ合い」を大切にし、郊外での子育てを選択しました。子どもたちが心身ともに健康で成長する環境を整えることを最優先に考えたのです。
また、彼女自身の育児経験は、医療現場での妊産婦支援にも生かされています。特に、シングルマザーとしての苦労や喜びを知っているからこそ、彼女は一人ひとりの患者に対して深い共感を寄せることができるのです。
まとめ:挑戦と希望を与えるストーリー
徳澤直子さんの人生は、華やかなファッションモデルのキャリア、シングルマザーとしての奮闘、そして助産師としての挑戦という三つの要素が織り交ぜられています。彼女が歩んできた道は決して平坦ではありませんでしたが、すべての経験が今の彼女を支えています。
徳澤さんはこう語ります。「何歳からでも、どんな状況からでも、夢を追いかけることはできる。その姿を見せることが、子どもたちへの最高の教育だと思っています。」