「戦後最大の食品中毒事件」と言われた1955年の森永ヒ素ミルク中毒事件をめぐり、後遺症に苦しむ女性が森永乳業に謝罪と賠償を求めて提訴。大阪地裁は2025年4月、時効と過去の三者合意を理由に訴えを棄却した。制度的救済が続く中、被害者の苦しみと法の壁が浮き彫りに。戦後最大の食品公害は、いま何を問いかけているのか。
森永ヒ素ミルク中毒事件
「終わらない被害」
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70年を経ても終わらない問い――その痛みと制度の断絶が、再び社会に問いを投げかけている。
戦後最大の食品中毒事件、再び法廷へ
1955年、森永乳業が製造した粉ミルクにヒ素が混入し、1万3,000人以上の乳幼児に健康被害をもたらした「森永ヒ素ミルク中毒事件」。日本の戦後社会において最も深刻な食品公害の一つとして記憶されるこの事件が、70年の時を超えて再び法廷の場で注目された。
大阪市に住む70歳の女性が、「ひかり協会」の支援ではなく、加害企業である森永乳業から直接の謝罪と賠償を求めて起こした訴訟。このたび、大阪地裁はその請求を棄却した。
なぜ訴えたのか?女性の主張とその背景
事件〜裁判の流れ
130人以上の乳児が死亡
┗ 社会に深刻な衝撃を与え、日本の食品安全体制にも影響1974年:「ひかり協会」設立
┗ 金銭的支援・健康管理・追跡調査などの恒久救済が開始される2022年:大阪の70歳女性が訴訟提起
┗ 「個別の重い被害には、個別の謝罪と賠償が必要」と主張
原告の女性は、乳幼児期に森永のヒ素入り粉ミルクを飲んだことで脳性まひを発症。左半身の麻痺に加え、年齢を重ねるごとに右半身や首の痛み、手足のしびれといった後遺症が悪化したという。
40歳頃には頚髄症と診断され、現在では歩行も困難になっている。生活は夫らの介助に頼らざるを得ず、「この痛みと不安が死ぬまで続く」と述べ、5500万円の賠償を求めていた。
すでに「ひかり協会」を通じた支援は継続されているが、女性は「個々の被害状況に応じた救済がされていない」と指摘。「一律支給」ではなく、「重症化した者への対応が必要」と主張していた。
森永乳業の反論と判決のポイントは?
森永乳業側は、「1973年の被害者団体・森永・国の三者合意」によって事件は解決済みとの立場を示した。この合意に基づき、1974年に「ひかり協会」が設立されている。
また、「不法行為から20年を超えての請求は認められない」とする除斥期間の主張も展開。大阪地裁もこれを支持し、今回の訴えを退けた。
一方で原告側は、「症状は固定されておらず、除斥期間は適用できない」と反論したが、裁判所は認めなかった。
原告と大阪地裁の主張
被害の記憶と時間の壁
1955年に発生したこの事件では、当時130人以上の乳幼児が亡くなり、その後の追跡調査で被害者は1万3,000人を超えることが判明している。社会全体に与えた衝撃の大きさは計り知れない。
しかし、制度の枠組みは「時効」や「合意による解決」という論理によって閉じられていく。被害者の人生が続いているにも関わらず、法の制度は「終わった」とする。
公害の記憶を風化させないために
この裁判は、単なる一企業の責任追及ではなく、被害者救済のあり方、そして記憶の継承の仕方そのものを問い直す契機でもある。
森永事件に限らず、カネミ油症、水俣病、イタイイタイ病など、戦後の日本では多くの公害事件が発生してきた。それらの記憶と教訓を風化させないためにも、今回の裁判は意味を持つ。
「制度としての終わり」と「個人の苦しみの継続」。その間に横たわる隔たりは、私たちに何を問いかけているのだろうか。
よくある疑問と答え(FAQ)
Q1.「森永ヒ素ミルク中毒事件」って何?
1955年、森永乳業の粉ミルクにヒ素が混入し、乳幼児130人以上が死亡、1万3千人以上が被害を受けた日本の戦後最大級の食品中毒事件です。
Q2. なぜ今になって裁判が起きたの?
被害を受けた女性が「制度的な救済では不十分」として、加害企業に個別の謝罪と賠償を求めたためです。
Q3. 「ひかり協会」って何?
1974年、森永・国・被害者団体の合意により設立された恒久的な救済機関で、被害者に対して金銭的支援を行っています。
Q4. なぜ裁判は原告の訴えを退けたの?
大阪地裁は、「事件はすでに合意で解決済み」であり、「除斥期間(20年)」が過ぎているため、請求は法的に認められないと判断しました。
Q5. 他の公害事件と何が違うの?
森永事件は企業責任の明確化や制度的救済が早期に行われた一方で、個別の長期的被害に対応しきれていない点が浮き彫りになっています。
制度が「終わった」と言う時、人生はどこにあるのか
時間は、誰にとっても同じように流れるわけじゃない。
70年経っても痛みが消えない人がいる一方で、20年で責任を終わらせたとする制度がある。
「それは制度として仕方がなかった」と言えば、それで済むのかもしれない。
けれど、苦しんでいる人の時間は、まるで砂時計が止まったままのように見える。
制度は完了を求めるが、人生は完了などしない。
むしろ、繰り返しを含みながら、未解決のまま続いていくものだ。
公害のような事件が問いかけるのは、過去への怒りだけではない。
「今この瞬間に、誰の声が消されようとしているのか」
という、もっと深い問いだ。
その問いに、私たちはどう答えられるだろうか?
少なくとも、沈黙してはいけない。